せんりプラットフォーム - 千里ニュータウン60年

子どもも大人も楽しめるワークショップや地元企業でのお仕事体験、ストリートピアノ演奏会やアートイベントなど魅力的なプログラムを多数予定しています。
次の60年も子育てしやすい・住みたいまちとして、千里を一緒に盛り上げていきましょう!
Senrimatsuri

千里祭り コンテンツ

History

「千里」って?

全ては千里ニュータウンから始まった!1962-2022

※年表は横にスクロールで見ることができます。

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それは西部劇のような風景だった。
人口が、どんどん増える。家だけでなく、町をまるごとつくらないと、間に合わない。構想は壮大だったが、第一号住民がそこで見たのは、西部劇のような埃だらけの大地だった。希望を積み込んだトラックが、つぎつぎとやってくる。お互いに知っている人は、誰もいない。電車の駅は、2キロ先。水道と電気とガスだけは、なんとか間に合った。あと少しガマンすれば!どんどん良くなりますから!…本当だろうか?新しいニュータウンのスタートは、実は不安だらけだった。でもとにかく、この町でこれから暮らしていくのだ!日本で最初の大規模なニュータウン。自分たちが、全部試してやろうじゃないか。
家に風呂がないなら、買ってしまおう。
初期の府営住宅には、風呂がなかった。近隣センターの銭湯へ行くことになっていた。しかし大阪市内から電車に揺られて帰ってきて、駅から歩いて帰宅して、また暑くても寒くても銭湯へ行くのか。皆が行く時間は決まっていたから、混んでいた。そこへまさに救世主のように登場したのが「置くだけでわが家が風呂付きになる」ほくさんバスオール。水道とガスをつなげればいい。キッチンに置くと、家じゅうが湯気だらけになった。それでもとにかく、きょうからわが家も風呂付きだ!高かったがローンもあった。ほくさんバスオール、全国商品だったが一番売れたのは大阪の千里だったという。
世界初の自動改札機、北千里にあらわる。

当時の電車は、今よりずっと混んでいた。改札には係員がいてチェックをしていた。人手が足りない。そこで「自動改札機」なるものが開発された。定期客が多くて、新しいニュータウンの駅に置こう。それが阪急北千里駅だった。定期券ときっぷは券幅が違うから、当初は別のゲートになっていた。しょっちゅう詰まった。現金を直接放り込む人もいた。係員が泊まり込み、つきっきりで対応した。まさに「実証実験」。最先端はメンドクサイ。でも千里の住民は、よろこんでこの実験に参加した。北千里での経験を生かして、やがて自動改札機は阪急全線に、日本全国へ、世界へと広がった。
神戸港からゾウが16頭歩いてきた!
万博には世界からあらゆる出し物が集められた。タイからは16頭のゾウが船で運ばれ…神戸港から道路を歩いてきた!炎天下、2日がかり。一行は約1ヵ月会場内に滞在し、自衛隊と綱引きしたり、突然の嵐にパニックになったりしながら、夏休みの観客を喜ばせた。滞在中には赤ちゃんゾウも生まれた。万博の「お祭り広場」にちなんで「ひろば」と名づけられた。あらゆるものがそこにあった、万博。千里全体が、オープンな広場になった。そのざわめきは、今も続いている。
地域まるごと冷暖房するという発想。
千里ニュータウン計画の仕上げは、千里中央地区センターだった。ニュータウンの中心で、北大阪の新都心。商業施設だけでなく、西半分はオフィスエリアにあてられた。このエリアの冷暖房は、日本初の地域冷暖房でまかなわれている。ほぼ中心にあるエネルギープラントから、20を超える施設にトータルな熱供給が行われている。新しい町を造るのだから、環境負荷を、最小に。そんな発想が半世紀以上前からあった。
未来都市を人工の森に造り替える計画、始まる。
万博は終わった。その跡地を、どうするか?日本中への交通アクセスに恵まれた立地だから、いろいろなプランがあった。流通センター、オフィス、住宅…しかし選ばれたのは、パビリオン跡を人工の森に造り替えるプランだった。里山からいったん平地にした未来都市を、パビリオンの瓦礫を埋め込んで再び起伏をつける。日本最大の人工の森。何十年もかかる計画。人ははたして、自然に近い森が創れるのか?その実験は、今でも続いている。千里丘陵では、人工都市と人工の森がペアになっているのだ。
ニュータウン、千里から全国へ。
千里ニュータウンの計画と実行は、日本中に衝撃を与えた。都市で住宅が足りないのはどこでも同じだったが、大阪は本当に「ニュータウン」を造ってしまった…。東京も黙っていられなくなった。この年、多摩ニュータウンに初めての住民が入居した。これまでの間に、大阪では泉北、名古屋では高蔵寺のニュータウンもスタートしていた。筑波のような学園都市も始まろうとしていた。全国の関係者が千里へ視察に来て、あてられて、「ニュータウン」を全国で造り始めた。やがてそれは地方に人口を呼び込むための計画にも応用された。千里は、日本中に「仲間の町」がある町なのだ。そのセオリーは、もちろん海外ともつながっている。
トイレットペーパーが、突然、消えた!
遠い産油国で戦争が起きると、エネルギーが高くなる。やがて不足するかもしれない…。紙だって、石油からできている。今買っておかないと!…そんな不安心理はどこでも同じでも、トイレットペーパーが店頭から消えたのは、全国でも千里からだった。なぜ?たまたまトイレットペーパーの特売をした店の行列を、住民が見たという証言がある。それに千里は、当時まだ珍しかった全戸水洗の町だった。住民が若かった。情報に敏感。ニュータウンの人口も、1975年がピークだった。突然の社会パニックに政府は「紙はあります」と鎮静化につとめたが、千里はそんなふうにも有名になってしまった。
世界最大の民族学博物館、増殖を始める。
戦前からの、夢だった。国立民族学博物館「みんぱく」。太陽の塔の展示のために集めたコレクションも引き継いで、公園らしくなってきた万博跡地に新しい施設として、オープンした。博物館は、コレクションが増える。だから建築は増築を見込んだメタボリズムの思想で造られている(設計:黒川紀章建築都市設計事務所)。万博公園なら、用地に不足はない。それは同時に、千里をベッドタウンから、知の拠点をいただいた多機能都市にしようとするターニングポイントでもあった。それは人材の拠点でもある。増殖は、ひろがっている。
世界で一番長いモノレールを作ろう。

都心から郊外へ。放射状に出ていく鉄道はたくさんあるが、郊外と郊外をループ状につなぐ鉄道が大阪にはない。千里の発展のためにも、環状鉄道は必要。…という構想が出てきたのは、万博より前。それにはモノレールの輸送力がちょうどいいと、万博のモノレールを転用する話もあったようだが、実現に至らず。しかし長い雌伏の時を経て、やっと開通したのは、千里から。規格は万博のモノレールの方式を受け継いでいる。どんどん伸びて、一時期は世界最長のモノレールになった時期もあったが、今は2位。しかし1位の中国・重慶のモノレールには、そっくりの車両が走っているらしい。
自分たちの居場所は、自分たちで作ろう。
古くなった近隣センターの店舗跡を改装して、誰もが目的なしに立ち寄れるコミュニティ・カフェにする。今はあちこちで見られるそんな試みも、千里では2001年から。「ひがしまち街角広場」は、近隣センター再開発にともない2022年に運営を終了したが、21年間、ここでくつろいだり、新しい何かを温めたりした人やグループは数えきれない。「コミュニティに居場所を作る」試みは、千里のあちこちで、姿を変えて、続いている。千里の人は、居場所作りが上手い?ニュータウンのスピリットかな!
ニュータウン、ついに「博物館入り」。

自分たちの暮らしを、博物館で展示してしまおう!そんな「面白がり」を実行してしまったのも千里の人たち。町の設計思想、団地の生活、バスオール、ステンレスキッチン、自然の変化、あの頃の遊び…。吹田市立博物館「千里ニュータウン展」は、通常の2年分の来館者が押しかける大ヒットに。日常と歴史は、つながっている。「どこにでもあったもの」は、誰もが面白がれる。千里には、20世紀モダンライフの原型が詰まっていたのだ。
ただの建替より「コラボ」を選びました。
千里中央で古くなった公民館、図書館、老人福祉センターを建て替える。出張所と保健センターも一緒にする。それだけでいいのだろうか。これから先、地域コミュニティを支える施設になれるのだろうか。市民と行政が「協働」できる場にすることが必要なのではないか。そのためには縦割りではない多目的スペースを持ったフロア構成が必要だ。施設長を置かなければ行政系雑居ビルになってしまう。町を新しくすることは、建物が新しくなるだけではだめだ。このようにして、豊中市千里文化センター「コラボ」は誕生した。名は体を表す。コラボレーションこそ、ニュータウン半世紀の葛藤が生み出した「わたしたちの町」の方法なのだ。
人口と同じ数のキャンドルを、公園にともそう!
千里ぐらしの醍醐味は、ふんだんにある大小の公園。ここで公園いっぱいにキャンドルをともしてみたい…そんな夢が「まちびらき50年」のイベント案として沸き上がった。話はいつしか「人口と同じ9万本ともそう!」という発想にスケールアップし、本当に千里の人たちは実現させてしまった。ともすのは、市民の力。「千里キャンドルロード」。このイベントは以来毎年、吹田市側と豊中市側で交互に開催されている。キャンドルを入れる紙コップには、絵や言葉で、さまざまな願いが描かれる。子どもも、大人も。身近な素材で、誰もが参加できるアートを創る。それはたしかに「千里らしさ」の詰まったイベントだ。
よみがえる万博、生命とアートの挑発。
万博記念公園は千里ニュータウンのお隣。千里の人たちは、自分の庭のように使いこなしている。その中でシンボリックにそびえる太陽の塔は、万博終了後長く非公開とされてきたが、岡本太郎氏の作品性をリスペクトしながら耐震性やバリアフリーなどの現代的要請とも両立し、大改修を経て48年ぶりに再公開に至った。ただ復元したのではなく、その演出には多くの最新技術も導入されている。2025年万博を控え、公園内では多くの新機軸が導入されている。時を超え、私たちを挑発する「万博」。それはもう千里の一部になっている。
最先端医療は、地域医療とつながっている。

日本にひとつしかない、循環器の国立専門病院と研究開発機関の一体組織。国立循環器病研究センターは、1977年、千里ニュータウン内で開設され、2019年の岸部移転で新たなステージへ進化した。最先端医療には数多くの症例の積み重ねが不可欠で、地域医療との協力体制があればこそ立地が成り立つ。治療にも、予防にも。誰もが健康に長生きできる地域社会は、全人類の普遍的な希望である。千里は、「健康づくり」でも世界に貢献している。千里は、そういう町なのだ。
人口がまた、10万人を超えた。
高度経済成長期の8年間で一挙に造り切った千里ニュータウンは、その時に若かった世代の入居が多く、完成後の住宅供給も限られていたため、「遅れて来た世代」には入りにくい町になっていた。まちびらきから半世紀。初期の団地が建替期に入り、マンションの建設もあいついで、30~40代の家族にとって入居のチャンスが増えてきた。ニュータウンの人口は、10年あまりで8万人台から10万人台まで回復した。「住みたい町・千里」は、多様な世代が混住する新たな段階に入っている。
毎日の足も、未来交通の実験だ。

千里ニュータウンの足、阪急バスでは、大阪大学、関西電力との産学連携によりEVバスの運行実証実験を千里エリアで行っている。CO2や有害ガスを排出しないゼロエミッション走行で環境にやさしく、ディーゼルバスに比べて低騒音・低振動。営業所で休んでいる時は放電器をつなげ、大容量バッテリーとして営業所に電力を供給することもできる。災害時への活用も期待される。毎日の暮らしから、新しく。千里にはそんなスピリットがよく似合う。
About Us

「せんりプラットフォーム」について

団体概要

■名称

せんりプラットフォーム

■メールアドレス

senri.pf@gmail.com

■団体の目的(会則より)

本会は、千里に住む住民や千里で活動する地元企業、各種団体の他、千里に深い関心と愛着を持つ者たちが、『千里エリア』の持続的な価値維持向上に向けて、地域の活性化と関係性強化することを目的とする。

前項の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1)千里住民や地元企業、各種団体の情報拠点となるプラットフォーム事業。
(2)千里住民や地元企業、各種団体の参加するイベント事業。
(3)千里エリアの情報を受発信するメディア事業。
(4)千里住民や地元企業、各種団体の参加する相互交流の場の提供。
(5)その他、目的達成のために必要と思われる事項。

■会則

下記よりPDFにてご確認ください。

 せんりプラットフォーム会則 (PDFファイルサイズ:約80KB)

■役員・会員

役員

代表:奥居武
代表:野村仁志
副代表:片岡誠
副代表:尾浴芳久
監事:向井利佳子

会員

  1. 大阪大学 建築工学部門 建築・都市計画論領域 木多研究室(木多道宏、杉田美和)
  2. 株式会社クロックワークスタジオ(木内千比呂)
  3. 株式会社シティライフ NEW(尾浴芳久)
  4. NPO法人市民ネットすいた(片岡誠)
  5. 千里金蘭大学(藤田倶子、原田淳史)
  6. 千里ニュータウン FM 放送株式会社(向井利佳子)
  7. 一般財団法人千里パブリックデザイン(奥居武)
  8. 有限会社フジワキデザイン(藤脇慎吾)
  9. 有限会社 re・make(岡山栄子)
  10. 株式会社良品計画(小椋真次、神原祥啓)
  11. 野村仁志(吹田市竹見台)

(会員)※五十音順、敬称略 令和5年5月18日現在