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全ては千里ニュータウンから始まった!1962-2022

公開日:2022/07/23 最終更新日:2022/09/07

※年表は横にスクロールで見ることができます。

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それは西部劇のような風景だった。
人口が、どんどん増える。家だけでなく、町をまるごとつくらないと、間に合わない。構想は壮大だったが、第一号住民がそこで見たのは、西部劇のような埃だらけの大地だった。希望を積み込んだトラックが、つぎつぎとやってくる。お互いに知っている人は、誰もいない。電車の駅は、2キロ先。水道と電気とガスだけは、なんとか間に合った。あと少しガマンすれば!どんどん良くなりますから!…本当だろうか?新しいニュータウンのスタートは、実は不安だらけだった。でもとにかく、この町でこれから暮らしていくのだ!日本で最初の大規模なニュータウン。自分たちが、全部試してやろうじゃないか。
家に風呂がないなら、買ってしまおう。
初期の府営住宅には、風呂がなかった。近隣センターの銭湯へ行くことになっていた。しかし大阪市内から電車に揺られて帰ってきて、駅から歩いて帰宅して、また暑くても寒くても銭湯へ行くのか。皆が行く時間は決まっていたから、混んでいた。そこへまさに救世主のように登場したのが「置くだけでわが家が風呂付きになる」ほくさんバスオール。水道とガスをつなげればいい。キッチンに置くと、家じゅうが湯気だらけになった。それでもとにかく、きょうからわが家も風呂付きだ!高かったがローンもあった。ほくさんバスオール、全国商品だったが一番売れたのは大阪の千里だったという。
世界初の自動改札機、北千里にあらわる。

当時の電車は、今よりずっと混んでいた。改札には係員がいてチェックをしていた。人手が足りない。そこで「自動改札機」なるものが開発された。定期客が多くて、新しいニュータウンの駅に置こう。それが阪急北千里駅だった。定期券ときっぷは券幅が違うから、当初は別のゲートになっていた。しょっちゅう詰まった。現金を直接放り込む人もいた。係員が泊まり込み、つきっきりで対応した。まさに「実証実験」。最先端はメンドクサイ。でも千里の住民は、よろこんでこの実験に参加した。北千里での経験を生かして、やがて自動改札機は阪急全線に、日本全国へ、世界へと広がった。
神戸港からゾウが16頭歩いてきた!
万博には世界からあらゆる出し物が集められた。タイからは16頭のゾウが船で運ばれ…神戸港から道路を歩いてきた!炎天下、2日がかり。一行は約1ヵ月会場内に滞在し、自衛隊と綱引きしたり、突然の嵐にパニックになったりしながら、夏休みの観客を喜ばせた。滞在中には赤ちゃんゾウも生まれた。万博の「お祭り広場」にちなんで「ひろば」と名づけられた。あらゆるものがそこにあった、万博。千里全体が、オープンな広場になった。そのざわめきは、今も続いている。
地域まるごと冷暖房するという発想。
千里ニュータウン計画の仕上げは、千里中央地区センターだった。ニュータウンの中心で、北大阪の新都心。商業施設だけでなく、西半分はオフィスエリアにあてられた。このエリアの冷暖房は、日本初の地域冷暖房でまかなわれている。ほぼ中心にあるエネルギープラントから、20を超える施設にトータルな熱供給が行われている。新しい町を造るのだから、環境負荷を、最小に。そんな発想が半世紀以上前からあった。
未来都市を人工の森に造り替える計画、始まる。
万博は終わった。その跡地を、どうするか?日本中への交通アクセスに恵まれた立地だから、いろいろなプランがあった。流通センター、オフィス、住宅…しかし選ばれたのは、パビリオン跡を人工の森に造り替えるプランだった。里山からいったん平地にした未来都市を、パビリオンの瓦礫を埋め込んで再び起伏をつける。日本最大の人工の森。何十年もかかる計画。人ははたして、自然に近い森が創れるのか?その実験は、今でも続いている。千里丘陵では、人工都市と人工の森がペアになっているのだ。
ニュータウン、千里から全国へ。
千里ニュータウンの計画と実行は、日本中に衝撃を与えた。都市で住宅が足りないのはどこでも同じだったが、大阪は本当に「ニュータウン」を造ってしまった…。東京も黙っていられなくなった。この年、多摩ニュータウンに初めての住民が入居した。これまでの間に、大阪では泉北、名古屋では高蔵寺のニュータウンもスタートしていた。筑波のような学園都市も始まろうとしていた。全国の関係者が千里へ視察に来て、あてられて、「ニュータウン」を全国で造り始めた。やがてそれは地方に人口を呼び込むための計画にも応用された。千里は、日本中に「仲間の町」がある町なのだ。そのセオリーは、もちろん海外ともつながっている。
トイレットペーパーが、突然、消えた!
遠い産油国で戦争が起きると、エネルギーが高くなる。やがて不足するかもしれない…。紙だって、石油からできている。今買っておかないと!…そんな不安心理はどこでも同じでも、トイレットペーパーが店頭から消えたのは、全国でも千里からだった。なぜ?たまたまトイレットペーパーの特売をした店の行列を、住民が見たという証言がある。それに千里は、当時まだ珍しかった全戸水洗の町だった。住民が若かった。情報に敏感。ニュータウンの人口も、1975年がピークだった。突然の社会パニックに政府は「紙はあります」と鎮静化につとめたが、千里はそんなふうにも有名になってしまった。
世界最大の民族学博物館、増殖を始める。
戦前からの、夢だった。国立民族学博物館「みんぱく」。太陽の塔の展示のために集めたコレクションも引き継いで、公園らしくなってきた万博跡地に新しい施設として、オープンした。博物館は、コレクションが増える。だから建築は増築を見込んだメタボリズムの思想で造られている(設計:黒川紀章建築都市設計事務所)。万博公園なら、用地に不足はない。それは同時に、千里をベッドタウンから、知の拠点をいただいた多機能都市にしようとするターニングポイントでもあった。それは人材の拠点でもある。増殖は、ひろがっている。
世界で一番長いモノレールを作ろう。

都心から郊外へ。放射状に出ていく鉄道はたくさんあるが、郊外と郊外をループ状につなぐ鉄道が大阪にはない。千里の発展のためにも、環状鉄道は必要。…という構想が出てきたのは、万博より前。それにはモノレールの輸送力がちょうどいいと、万博のモノレールを転用する話もあったようだが、実現に至らず。しかし長い雌伏の時を経て、やっと開通したのは、千里から。規格は万博のモノレールの方式を受け継いでいる。どんどん伸びて、一時期は世界最長のモノレールになった時期もあったが、今は2位。しかし1位の中国・重慶のモノレールには、そっくりの車両が走っているらしい。
自分たちの居場所は、自分たちで作ろう。
古くなった近隣センターの店舗跡を改装して、誰もが目的なしに立ち寄れるコミュニティ・カフェにする。今はあちこちで見られるそんな試みも、千里では2001年から。「ひがしまち街角広場」は、近隣センター再開発にともない2022年に運営を終了したが、21年間、ここでくつろいだり、新しい何かを温めたりした人やグループは数えきれない。「コミュニティに居場所を作る」試みは、千里のあちこちで、姿を変えて、続いている。千里の人は、居場所作りが上手い?ニュータウンのスピリットかな!
ニュータウン、ついに「博物館入り」。

自分たちの暮らしを、博物館で展示してしまおう!そんな「面白がり」を実行してしまったのも千里の人たち。町の設計思想、団地の生活、バスオール、ステンレスキッチン、自然の変化、あの頃の遊び…。吹田市立博物館「千里ニュータウン展」は、通常の2年分の来館者が押しかける大ヒットに。日常と歴史は、つながっている。「どこにでもあったもの」は、誰もが面白がれる。千里には、20世紀モダンライフの原型が詰まっていたのだ。
ただの建替より「コラボ」を選びました。
千里中央で古くなった公民館、図書館、老人福祉センターを建て替える。出張所と保健センターも一緒にする。それだけでいいのだろうか。これから先、地域コミュニティを支える施設になれるのだろうか。市民と行政が「協働」できる場にすることが必要なのではないか。そのためには縦割りではない多目的スペースを持ったフロア構成が必要だ。施設長を置かなければ行政系雑居ビルになってしまう。町を新しくすることは、建物が新しくなるだけではだめだ。このようにして、豊中市千里文化センター「コラボ」は誕生した。名は体を表す。コラボレーションこそ、ニュータウン半世紀の葛藤が生み出した「わたしたちの町」の方法なのだ。
人口と同じ数のキャンドルを、公園にともそう!
千里ぐらしの醍醐味は、ふんだんにある大小の公園。ここで公園いっぱいにキャンドルをともしてみたい…そんな夢が「まちびらき50年」のイベント案として沸き上がった。話はいつしか「人口と同じ9万本ともそう!」という発想にスケールアップし、本当に千里の人たちは実現させてしまった。ともすのは、市民の力。「千里キャンドルロード」。このイベントは以来毎年、吹田市側と豊中市側で交互に開催されている。キャンドルを入れる紙コップには、絵や言葉で、さまざまな願いが描かれる。子どもも、大人も。身近な素材で、誰もが参加できるアートを創る。それはたしかに「千里らしさ」の詰まったイベントだ。
よみがえる万博、生命とアートの挑発。
万博記念公園は千里ニュータウンのお隣。千里の人たちは、自分の庭のように使いこなしている。その中でシンボリックにそびえる太陽の塔は、万博終了後長く非公開とされてきたが、岡本太郎氏の作品性をリスペクトしながら耐震性やバリアフリーなどの現代的要請とも両立し、大改修を経て48年ぶりに再公開に至った。ただ復元したのではなく、その演出には多くの最新技術も導入されている。2025年万博を控え、公園内では多くの新機軸が導入されている。時を超え、私たちを挑発する「万博」。それはもう千里の一部になっている。
最先端医療は、地域医療とつながっている。

日本にひとつしかない、循環器の国立専門病院と研究開発機関の一体組織。国立循環器病研究センターは、1977年、千里ニュータウン内で開設され、2019年の岸部移転で新たなステージへ進化した。最先端医療には数多くの症例の積み重ねが不可欠で、地域医療との協力体制があればこそ立地が成り立つ。治療にも、予防にも。誰もが健康に長生きできる地域社会は、全人類の普遍的な希望である。千里は、「健康づくり」でも世界に貢献している。千里は、そういう町なのだ。
人口がまた、10万人を超えた。
高度経済成長期の8年間で一挙に造り切った千里ニュータウンは、その時に若かった世代の入居が多く、完成後の住宅供給も限られていたため、「遅れて来た世代」には入りにくい町になっていた。まちびらきから半世紀。初期の団地が建替期に入り、マンションの建設もあいついで、30~40代の家族にとって入居のチャンスが増えてきた。ニュータウンの人口は、10年あまりで8万人台から10万人台まで回復した。「住みたい町・千里」は、多様な世代が混住する新たな段階に入っている。
毎日の足も、未来交通の実験だ。

千里ニュータウンの足、阪急バスでは、大阪大学、関西電力との産学連携によりEVバスの運行実証実験を千里エリアで行っている。CO2や有害ガスを排出しないゼロエミッション走行で環境にやさしく、ディーゼルバスに比べて低騒音・低振動。営業所で休んでいる時は放電器をつなげ、大容量バッテリーとして営業所に電力を供給することもできる。災害時への活用も期待される。毎日の暮らしから、新しく。千里にはそんなスピリットがよく似合う。
公開日:2022/07/23 最終更新日:2022/09/07
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